にっぽんの風景

2009年7月25日

日本の風景はどうも難しい。
カメラに収めることに戸惑うことが多い。
そもそもが外観なんて無視されて、機能主義な建造物と、空を見上げれば必ず目に飛び込んでくる電線。
まるで拡張性だけを優先したコンピューターの中身のよう。
かといってそんなに拡張性があるかといえば、そうでもなさそうだ。
ドイツ滞在時は「ドイツは殺風景だ」なんて言ってたけど、日本もかなり殺風景だ。
しかも同じ殺風景でも、日本の方がさらに貧乏くさい。

帰国直後に友人から「もう日本の風景には興味がないでしょ?」って訊かれて、なんて失礼な奴だって思ったけど、最近になって案外当たっているのかも知れないと思うようになった(笑)。

日本は何でこんな風になちゃったんだろう。
吹けば飛びそうな薄っぺらく四角い鉄筋コンクリートの建物はあまりに情緒がない。これがアメリカ的合理主義の成れの果てなんだろうか。
「使えなくなったら壊してまた作ればいい」を繰り返してもあとには何も残らないことに、この国の人々はまだ気づかないんだろうか。
結局死んでからも最後に残るのはそういうものだと分かっているはずなのに。
何かを残して生きていくにはこの国の人々はあまりに貧しすぎる。

この国だと、みんなが生きることに必死すぎて芸術や文化は二の次、三の次になってしまう。
アメリカ式合理主義を引き合いに出したけど、アメリカは歴史が浅さがコンプレックスとなり、合理主義と同時に文化への意識も強い。それに対して日本は歴史がそこそこあることも手伝って、戦後以来経済を重視するあまり文化はそれに押しつぶされてしまった。
戦後の焼け野原の中、日本は確かによく復興した。
ただ、どう復興するのか、どういう都市を造るのか、どんな建造物が適当で、どんな風景が広がっていくのかを考えた人はいなかった。
日本と欧米の大きな相違点は、都市計画がないということ。
ドイツやイタリアは遙か昔に都市計画が完成されていて、戦後の復興も、あったものをあったとおりに元に戻せばよかった。

それに対して日本には明治以降、いやそれ以前から都市計画がなかった。第一次大戦後に都市計画の話は持ち上がっていたらしいが、第二次大戦に突入するにつれ忘れられていったらしい。
この都市計画の失敗は建築家・安藤忠雄氏も度々触れるところでもある。

都市計画は何のためにあるか、知っている人は意外に少ないけど、実はオレが今言っていっているような街の景観のためではない。景観はどちらかといえば副産物的なもので、真の目的は「集中する人工の制御」である。
首都や街や国の中枢には、人口が集中しすぎるのでそれを管理するために都市計画はある。
緑地を配置して道の広さを決め、建物の配置を決め、「何階以上の建物は建ててはいけない」とか「何平米以下の物件は住居として利用してはいけない」など厳しい建築規定を設けて必要以上に人口が集中しないようにする。
ちなみに中国は現状で都市計画はないが、法律を使って国民の移動を制限することによって人口が一カ所に集中しないように必死だ。

日本には実質的にこんな決まり事はなく、ひたすらアメリカのやり方だけを追いかけ、人工は都市部に集中し放題だ。
街はいたずらに膨張し、ツギハギだらけの建物や道路だけが広がる。

一定以上に人口が集中すると何がよくないかと言えば、そのほかの場所との格差が出てくることである。
人口の集中する都市部は物価が上がり、満員電車や家賃の異常高騰が発生し、大量消費や利用によって街は疲弊する。

きちんと管理された街は、地理的な変化は少なく建造物や周りの環境が保ちやすい。あっちに新しい建物が建って、こっちにまた新たに地下鉄が通ったり、という動きが少なくなって歴史も残しやすくなる。
あえて緑地を市街の中心に配置することによって雑踏を緩和し、人々を豊かにする。

明治維新以来、日本人はこう言った先人の英知を無視して西洋の科学技術だけをひたすらに受け入れ、戦後からはアメリカを追従して、景観を無視して街の空に拡張性だけの電線を引き、経済を優先するあまりに、そのうちすぐに修理やメンテナンスが必要になる道路や建造物をわざと建てた。

地震の多い日本で建築技術だけは世界トップ水準だけど、外観(もちろん隣の建物や街の雰囲気とのかねあいも)にまで意志の行き届いたものは少なく、そうした建造物もごく一部で、身近ではない。
ドイツにいた頃は、ごく普通の市民があんな雰囲気のある、景観の優れた住居に住めることに感動すら覚えてた。
それが日本に来れば、家は狭く情緒もひったくれもあったものじゃない。
「日本には土地がないから」というのはウソで、家が狭いのは都市計画がないせいだし、情緒のなさは経済優先主義からくるものだと思う。

こんなことをすでに成長しきってしまった日本に対して思っても何も対策はない(笑)。
ただただオレは日本の風景を前にして、絶望し立ち尽す。
そんな中、それでもカメラに収めたいと思える風景を探してしまうのが、カメラマンの人情なんだろう。
なかなか難しいですな。